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佐賀家庭裁判所 昭和49年(家)527号 審判

申立人 塚本クニエ

相手方 吉田次郎 外六名

主文

一  本籍佐賀県佐賀市○○○町○○○○○××××番地吉田友一の遺産を次のとおり分割する。

別紙第一目録中

(一)  第九番ないし第一四番、第一九番・第二〇番の各土地を相手方吉田サチヨシ・同田中文代・同吉田誠・同吉田真里・同吉田正一の共同取得とし、その共有持分は、右サチヨシ三分の一、他の四名各六分の一とする。

(二)  第二四番建物は、相手方吉田サチヨシの取得とする。

(三)  第一番ないし第六番の各土地は、相手方吉田次郎の取得とする。

(四)  第七番・第八番・第一五番・第一六番の各土地は、相手方吉田春夫の取得とする。

(五)  その余の各土地はすべて申立人の取得とする。

二  本件手続費用中、鑑定人○○○○に支給した鑑定費用金一五万円は申立人と相手方吉田サチヨシ両名の均分負担とし、その余の費用はそれぞれ支出した当事者の負担とする。

理由

第一、相続開始

関係戸籍謄本によれば、被相続人が昭和三九年一月一七日死亡した時の相続人は、長男である亡吉田一夫のほか、長女である申立人塚本クニエ、二男相手方吉田次郎、三男相手方吉田春夫の四名であつたが、その後、昭和四五年六月九日に一夫が死亡したので、その妻吉田サチヨシの外、田中文代・吉田誠・吉田真里・吉田正一の四子が、その相続分に応じて相続した結果、被相続人の遺産の相続人及びそれぞれの持分は、クニエ・次郎・春夫が各四分の一、サチヨシが十二分の一、文代・誠・真里・正一が各二十四分の一である。

第二、遺産

被相続人の遺産は、別紙第一の目録の各不動産である。(そのうち、第二四番の建物は、附属建物を除いて、既に取り毀されている。)以下、各不動産は右目録の番号によつて呼称する。

第三、生前贈与

クニエは、申立書において、亡一夫は被相続人から不動産の生前贈与を受けたと主張しており、千葉家裁○○調査官補の報告書の春夫の陳述にはこれに副う所があるが、必ずしも心証を惹かず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

第四、特別寄与分

村田太郎の昭和五〇年一月二二日付、村田秋夫の同二三日付各照会回答書、村田太郎外二十一名連名の同月一五日付証明書、桜木吉夫の証明書、村田幸一の同年二月七日付照会回答書、同月一八日付次郎への電話聴取書及び当庁○○調査官作成の報告書によれば、被相続人は竹細工職として弟子若干人を抱え、多少の田畑はあつたが喘息持ちで、農作業は先妻・後妻・長男亡一夫が従事していた。亡一夫は憲兵として従軍したが、終戦後復員し、昭和二二年、被相続人の後妻吉田アサ(昭和一七年死亡)の親戚になるサチヨシと結婚し、病弱の父を扶養しつつ、本件各農地(実質上、住居の敷地となつていた第二〇番・第二一番を除く。また、第一九番山林は開墾して田となつていた)を耕作していた。この中、以下に挙げる各土地以外のものは、被相続人の父朝太郎名義であるが(クニエはこれだけが「本来の遺産」であると陣述している。)、それでは不足するので、亡一夫は、第一番から第五番の土地は、次郎の養父弘勝の所有地を、第七番・第八番の土地は、春夫の養父安夫の所有地を、第九番土地は川島みどりの所有地を、第一〇番ないし第一四番の土地は中村久次の所有地を、第一五番・第一六番の土地は右安夫の所有地あるいは大字の部落共有地(そのいずれか判定しえない。)を、それぞれ小作していたもので、自作農創設特別措置法により、被相続人が昭和二四年に所有権を取得したが、売渡代金は実際に耕作していた亡一夫が父の名義で支払つたのであつた。亡一夫の死後はサチヨシが管理を続けている(クニエが野菜を作つている第六番土地を除く。)。以上のような事実が認められる。これによれば、本件各土地の耕作管理は、被相続人の生前から亡一夫一家が行なつて来たもので、遺産の現状についてはその特別寄与分を考慮するのが相当である。

一方、また、次郎・春夫の各養父から被相続人が農地解放によつて取得した分については、次郎・春夫としては各別の愛着を示すことも理解しうるところである。

第五、第七回合意とその性質

ところで、本件では、第七回調停期日において、出頭当事者であるクニエと次郎・サチヨシ両名との間には、別紙第二目録のとおりの分割の合意が一応成立したが、次回期日において、サチヨシが第二一番土地の取得を希望し、また、第七回合意におけるサチヨシ取得分を子らとの共有にするかサチヨシ単独名義にするかについて争いが残つたため、結局調停不成立となるに至つた経緯がある。

この七回合意は、もとより相手方当事者の出頭が一部に過ぎず、出頭当事者間においても、調停を成立せしめる終局的な合意とはいえないものであるが、分割の審判に当つては、一旦このような合意が成立していたことを無視できない。不出頭であつた当事者の右第七回合意についての意向を見るに、サチヨシの子である文代・誠・真里・正一については、後記のようにサチヨシと共有の形で分配することとすれば、サチヨシ以外の当事者に対する関係ではサチヨシによつて代表されたものとみなして差支えないので、問題は、次郎・クニエらと相並ぶ立場にある相手方春夫の意向であるが、千葉家裁○○調査官の五〇年六月一八日付報告書によれば、同人は第七回合意における分割案での自己の取分を相当とし、これによる審判を望んでいることが認められる。

従つて、本件遺産相続人を、亡一夫の妻子五人で構成される一夫遺族グループ、次郎、春夫、クニエ、の四者に分つと、第七回合意は、実質的にはこの四者の合意として一旦成立したが、その後第二一番土地についての前記の争いが生じて調停成立に至りえなかつたものと考えることができる。

本件では、調停不成立の結果審判で分割するわけであるが、調停が成立しなかつた以上、途中の合意は結局なんら効果を持たなかつたものとして、改めて法定相続分から出発して―前記のような亡一夫の特別寄与分は考慮するとしても、―分割することは、右のような経緯に照らして妥当であるとは思われない。むしろ、第七回合意を基礎とし、その後に生じた争点を解決し、その結果得られる各自の取分を検討して、前記亡一夫の特別寄与分の斟酌の点で欠けるところがないならば、これを各自の取分と認めることとなるよう分割の審判をなすことが、相続人間の遺産分割の協識を許し、その調わないときにのみ審判をなすことを認める法の建前に即するものと言うべきである。

第六、第七回合意による分割の検討

第七回合意に基づく、一夫遺族グループ・次郎・春夫・クニエの各取分の金銭的評価を見ると、鑑定人○○○○の鑑定書によれば、鑑定評価時において、それぞれ、六八三万六、〇〇〇円、三六一万二、〇〇〇円、八五万八、〇〇〇円、三〇二万三、〇〇〇円(以上、合計一、四三二万九、〇〇〇円)であることが認められる。第二四番の建物は、後記のとおり、付属建物を除いて既にサチヨシの手で取り毀されたのであるが、住宅新築後、老朽のため取り毀されたものであること記録の各証拠から心証の得られるところであるから、残存していたとしても、遺産の評価が一、六〇〇万円以上になることはなかつたと考えられる。そうすると、一夫遺族グループの取分は法定相続分どおりならば多くとも四〇〇万円を超えなかつた筈であるので、第七回合意による取分六八三万余円は、亡一夫の特別寄与分を十分に反映したものといつてよいであろう。(春夫の取分が次郎、クニエに比して僅少ではあるが、本件分割は、法定相続分よりも第七回合意を基礎とするものであること前示のとおりであり、春夫は、元来次郎と自分とのそれぞれの養父のものであつた土地が分割によつて自分の取分となることで満足して、第七回合意の案に従う意向を明示している点を当裁判所としては重視するわけである。)

進んで、第二一番土地についての争いを考えるに、昭和五〇年四月一四日の審問期日におけるサチヨシ、クニエの各陣述によれば、第二〇番から第二一番の三筆の土地は、地目上はそれぞれ山林・宅地・畑となつているが、現況は、北から右の順に続く一連の宅地であること、第二四番の建物は、登記簿上は○○××××番に所在するが、昭和四八年一一月頃サチヨシによつて取り毀されたものであること、取り毀される以前は、登記簿の表示と異なり、第二〇番土地と第二一番土地とに跨がつて建てられていたこと、サチヨシは右取り毀しに先立ち、同年三月頃、第二〇番土地上に、木造セメント瓦葺二階建の住居を新築し、二男正一とここに居住していること、などの事実を認めることができ、また、第一八番から第二二番までの字○○にある五筆の土地は、被相続人の父朝太郎名義の土地すなわち、クニエが「本来の遺産」と考えているものの一部であること先に示したとおりである。以上を綜合すると、第二一番土地は、第七回合意どおり、クニエの取分とするのが相当である。なお、第二四番建物の付属建物(物置)は、現に第二二番土地に残存し、サチヨシが農作業に利用していることが同女の陣述で認められるので、その敷地である第二二番土地がクニエの所有に帰属すると不都合を生じるが、小さな建物であるから第二〇番土地に移動させるなり、土地利用関係についてなんらかの契約をするなりして、右不都合を解消させるよう期待しても差支えないと考えられる。

次に、サチヨシは、亡一夫遺族グループの全財産を管理上サチヨシの単独名義とすることを希望しているが、共有として各人の持分が明らかにされることが、その一人による処分の妨げとなることは当然として、管理の妨げになるとは必ずしも考えられず(納税等に関する多少の手間は、本来共有である以上当然のことである。)、正一(昭和三七年四月一五日生れ)が成年に達するまでは、共有名義のままで、という他の相続人の意向が記録上散見することも顧慮すべきであり、結論として、この分は五名の共有とすることにする。

なお、付言するが、第七回合意中、次郎・春夫が分割によつて取得した土地をサチヨシに対して売買または贈与しない旨の部分は、不出頭であつた春夫に対して拘束力のないことはいうまでもない。次郎・クニエ間においては、調停外で成立した契約と同様の効果を生じるので、次郎がサチヨシと売買すればクニエに対しては債務不履行となるが、次郎・サチヨシ間の売買そのものは有効となると解すべきものである。

第七、分割

以上の判示のとおりであり、なお本件一切の事情を顧慮して、第一目録中、

(一)  相手方サチヨシ・同文代・同誠・同真里・同正一には、第九番ないし第一四番、第一九番、第二〇番の各土地を共同取得せしめ、その共有持分は、サチヨシ三分の一、他の四名各六分の一と定め

(二)  相手方サチヨシに、第二四番建物(実質上は付属建物のみ)を取得せしめ

(三)  相手方次郎に、第一番ないし第六番の土地を取得せしめ

(四)  相手方春夫に、第七番・第八番・第一五番・第一六番の各土地を取得せしめ

(五)  申立人には、その余の各土地(第一七番・第一八番、第二一番ないし第二三番)を取得せしめる

こととし、本件手続の諸費用については非訟事件手続法第二七条を適用して、主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 倉田卓次)

別紙目録〈省略〉

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